読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

新・リストーラ久留島言いたい放題!

社会問題からアイドルの話と枠の無いブログです。

headlines.yahoo.co.jp

個人的に最悪なツーショットだけど、二人の思想を考えるとお似合いの二人だと思う。

アメリカと日本に住む人たちは、中国のような独裁国家に比べれば、自分の国は自由で民主主義があり、メディアの報道に対しても偏見を持たず、そのまま受け入れる人が多いと思う。

 

確かに、中国に報道の自由は無いし、ろくな政権ではないと思う。

ただ、露骨に隠ぺいするやり方は、国民にとっては分かりやすく、中国の人は自分の国に対して疑いの目を持っているので、真実を見極める力は、日本人より強いと思う。

 

日本もアメリカも自由で、ある程度の幸福感を持つことで、水面下で国民を欺くのが、やり易い国でもあるのです。

NGO「国境なき記者団」が発表する「報道の自由ランキング」では、日本の順位を72位としているのは、日本人としては驚きだと思うけど、今の日本人は外から見る日本を知らないからだと思う。

2010年は、11位だったランキングも安倍政権になり、どんどん順位が下がってしまった理由は、ちゃんと考えれば当たり前の話で、テレビだけを考えても大手スポンサーと安倍政権とは利権を共有し、安倍政権を擁護する御用ジャーナリストだけでなく、体制寄りのタレントが横行している状況です。

スポンサーがいないNHKも政権寄りの経営委員を入れ替え、政権の犬のような籾井会長を据えたのです。

法制局長や日本銀行頭取も安倍政権寄りのものにすり替えたして、民主主義を利用した独裁国家を作ろうとしている感じがします。

実際、麻生氏もドイツのワイマール憲法ナチス憲法に替えた手法を真似るようなことも言っていたので、凄く、怖い感じがします。

 

最近、事実を部分的に切り取り、自分たちに都合の良い思想に利用する主張が広がっていて、特に保守層の者に顕著に見られる感じがします。

南京大虐殺の事でも真実は、僕にはハッキリとは分かりませんが、元日本兵の証言からすると虐殺があったのは、事実でしょう。

だけど、中国側が主張する被害人数は当時の人口などの状況から見れば、事実と異なる感じもします。

 

僕は人数は分からないが、虐殺はあったと思うし、戦争とはそんなものだと思うのです。

それに、当時の関東軍の質は相当悪く、人体実験などもやっていたし、日本人開拓団(民間人)を置き去りにして、逃げたことを考えると、戦禍の中で、人間性を失っていったのかも知れません。

 

最近、オルタナティブ・ファクト(代替的な事実)という言葉が、取り出されていますが、トランプ政権の報道官が言うもう一つの事実は、格差社会が広がる不満を持つネット社会では、凄く存在が大きくなっています。

偏った事実だけを信じて、自分に都合の良い思想や考え方に当てはめるやり方は、効果的であり、凄く危険なことだと思うのです。

確かに、僕のようなリベラルな考え方の者も偏った事実を信じて、保守層を否定するのはフェアーではないと思います。

 

リベラルやグローバル的な考え方が、世界を平和にし、みんなを幸せに出来るかと言えば、そうではないでしょう。

だけど、アメリカや日本のように、自由民主主義の代表国もような表の顔を持って、中身は内向きなナショナリズムや排外主義が広がってしまうと、戦争はまた繰り返されると思うのです。

 

戦争は「百害あって一利なし」と思う人もいるでしょうが、悲しいことに一部の者にとって、一利というか最大のうま味があり、戦争とはビジネスなのです。

 

世界の動向で、常に「誰が得するのか」を考えれば、その裏側が見えてくるのです。

例えば、中国の脅威を問題視し、それを煽ることで、日本国民は自衛の意識が高まり、防衛費が高くなっても仕方ないと思うようになります。

武器などの軍事費で迎撃ミサイルやイージス艦や戦闘機を購入するとなると、兆単位のお金が動きます。

アメリカの軍事関連企業が潤うわけで、日本と中国が政治レベルで仲良くなることは、アメリカの国益を損なうことになるのです。

日本は悲しいことに、アメリカの国益に対して従順でしかないので、同盟関係という対等な立場を表向きにしながらも、日本はアメリカの属国というのが現実なのです。

 

今回の安倍首相の渡米で、トランプ大統領が安倍首相をもてなして、友好を演出しているけど、過去の日米の蜜月関係の時は、アメリカに貢いでいることで、アメリカにとって日本は大切な国であることを演出しているので、テレビで言うような良好関係の代償は、日本にとって大きな問題になるでしょうが、安倍政権はうまく誤魔化すだろうし、メディアもそれを明白には出来ないと思うのです。

 

事実をどのように受けてとめてゆくかが、大きな岐路に立たされているのかも知れません。